ケロケロぴーの未知標パート2

家主ケロケロぴーの思い出し思い出しの日記です。

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小説『墨攻』 酒見賢一

 先日、何かを調べているときに、酒見賢一氏の『墨攻』が直木賞候補に挙がったときの審査の諸先生の評を読んで、少々酒見氏の肩を持ちたくなりました。簡潔すぎる文章が諸先生方に嫌われたようでした。酒見氏の本はこれで二冊目で、大して読んでははいないのですが、大学を決めるときに酒見氏が出た専攻を高校の先生にさかんにすすめらながらも、「哲学はわからんし……」と、自分の行きたかった専攻を選んだのでした。もし、この時、先生の言葉に屈していたら、私は酒見氏の後輩で、話をする機会もあったかもしれなかったでしょう。それでも、近い専攻(中国系をやっていたってことで)だったので、すれ違い、または、同じ授業を受けていたかもしれません。そんなご縁(どんな縁じゃ?)で、なんとなく気になっていた作家であり、私もこんな風に歴史物だけど創作部分が多い作品を書いてみたいと思っていたので、作品の選び方・書き方にとても興味を持っています。
墨攻


 さて、本の内容は、とても読みやすい(私にとって)し、中島敦記念賞受賞というのはうなづけます。文庫本を読んだのですが、長い酒見氏のあとがきと直木賞の評を比べると、なんとなく、彼の言い分が伝わってきます。ごてごてを心情を並べた小説は、想像を狭くしているような気がします。省略したしてある部分にイマジネーションがもくもくとわき出て、ああなのか、こうなのかと想像するのが楽しいのであって、あまり、細かく一人称で語られたり、神様の目で語られたりするのは、裏切られたりすることもあるので(読者の私の思っていた人と違うじゃんとか)、そういうのは読み続けるのに苦労します。この『墨攻』が話が広がり、漫画になったり映画になったりするのも、本を読んで、広がったイマジネーションの賜物だと思うのです。
 司馬遼太郎氏の文章も割と好きですが、彼の書く話は、史実に近すぎて、「どこまで史実でどこからが創作部分なのか」が気になって、物語に入りこめないのです(よく司馬氏の書かれた話を読んですべて史実、登場人物の性格・出来事がすべて史実だと思い込んでいる方がいらっしゃいますが、私なんかだと、「だまされんぞ」と斜に構えて読むので、楽しめません)。その点、酒見氏の話は、創作の域が広いので、私はとても安心して読めるのです。まあ、作品の好き嫌いは、個人差ありますが、あの直木賞の評を読んでいる限り、今の文学(売れる文章)って、そういうもんなのかいなと思ってしまいました。(もし、興味をもたれた方は、直木賞の選考の評を読んでみてください。下記ページにまとめたものがあります)
http://homepage1.nifty.com/naokiaward/kogun/kogun102SK.htm

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