ケロケロぴーの未知標パート2

家主ケロケロぴーの思い出し思い出しの日記です。

東三河の史跡めぐり

 今日は、テーマもなく、共通性は多少あるか……くらいで東三河の史跡を回りました。タイトルにもあるように、「東三河の史跡めぐり」という本を片手にまわります。どうも作家の宮城谷氏の本「古城の風景1」が読みにくくて(私だけ?)、地元の郷土歴史家の鈴木先生の「東三河の……」が探索に出かけるには、とても役にたつように、地図等充実しているので、私はこれを片手に出かけました。
 ちなみに宮城谷氏の本は装丁は気に入ってます。
古城の風景1


 今までも何度も行ったことのある設楽が原や長篠は通り越し、田峯城へ向かいました。丘陵を登ってすぐ、看板を見つけ、そこから降りて歩きましたが、ダムの方へ歩いて入っていくと行き止まり、又もどって、少し車で進んでからまた道しるべに従って、人しか入れぬ道へ。これも道路にでるだけで、いったいどうなっているのだろうと私だけ歩いて、連れ合いは車でいけるとこまで進んでみました。結果、本丸近くまで車で近づけることがわかり、途中から私は車に。新しく復元した本丸や櫓がありました。管理のおばさんだけしかおらず、山頂にふくさわやかな風が私の汗ばんだ背中を涼やかにしてくれました。(ごろんと寝っころがるといいですよ)
 お昼をヤナもやっている食堂で取り(ホルモン焼き定食がおいしかった)、旧作手村の亀山城へ。
 亀山城は、看板が道路から見えるので、比較的みつけやすかったのですが、いざ向かってみると、整備されているのか、いないのか。草は刈ってないし、長篠の戦いの時の長篠城主奥平貞昌(信昌)のもといたところ。どうせなら、今回のこの史跡めぐりは「奥平シリーズ」になるように長篠城から逆に進めばよかったかなと思いつつ、古宮城へ。
 古宮城は、武田方の城。武田流の縄張りという説明だが、この時代は石垣というより土塁なので、どこがどのような形をしていたかは、イメージできずじまい。ただ、このそばが三河の名の語源の矢作川・豊川・男川の分水点がそばにあります。
 次は、少し奥へ進んで甘泉寺。水が湧き出て、甘い香りがしている(私はそう感じました)所です。鳥居強右衛門の位牌と墓があります。長篠近辺を回って、「強右衛門シリーズ」にすべきだったでしょうか? ここは、奥平家が上野からはるばる移動してきて住居を置いたところだとも言われています。
 川尻城は、細い道を車で登っていったので、登り切れるか不安でした。登ったところは公園になっています。甘泉寺から亀山城の間の8年間はここが奥平の城でした。
 帰路、野田城のそばを通ったので、野田城も少しよりました。
 今回、「山本勘助シリーズ」にしようかとも言っていたのですが、思いつきになっていました。こうした史跡めぐりは、合戦とか時代を統一するか、奥平・菅沼など人物に焦点を合わせるかしてまわった方が、より記憶に残るだろうなと反省。次回こそは、山本勘助シリーズになるでしょうか。それとも……当分、東三河の史跡めぐりは続きそうです。

テーマ:趣味と日記 - ジャンル:趣味・実用

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