ケロケロぴーの未知標パート2

家主ケロケロぴーの思い出し思い出しの日記です。

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越後の国へ

 三日目は、会津若松の城を見て、阿弥陀寺に斉藤一(新選組隊士・のちに藤田五郎と名乗る)の墓を見にいきました。一人また一人と、この墓にやってきます。
斉藤一(藤田五郎)の墓

 上の写真は、斉藤一の墓です。
会津の町を歩いている(または自転車で回っている)観光客は、一人で回っている人が多く、他の観光地と少し感じが違うような気がしました。昨日行った会津松平の藩主のお墓も、ぽつぽつとどっと押し寄せるのではなく、かといって、慣れている人ではなく、探し探しのすえ、一人でたどり着いたような人のような気がするのです。こんな暑い日に自転車や歩きで回っているのは、やはりよほど好きな人か、絶対見たいと思ってくる人なのでしょう。きっと。工芸や酒などの店もたくさんあり、今度は、歩いて、じっくり回りたい町でした。(前回は冬に歩いて回りましたが、冬は寒い!! 誰も歩いていないので、淋しい)
 その後、大きく移動して新潟へ。越後の国です。まずは、春日山城。上杉謙信の城(春日山城)へ。昼間の時刻でしたから、とにかく暑い。ここの管理をしているのは小川未明の実家だそうで、こんなところに小川未明の記念館があると思いませんでした。
 謙信の墓の側には、松平光長の息子の墓が。私にとって、これも意外なものでした。
 こちらは、謙信の墓。
 上杉謙信の墓

 そして、こちらは、光長の息子の墓。
 光長の息子の墓


 謙信の春日山城は戦国時代の城です。江戸に入ると城は今の高田市(越後高田)になります。
 堀の蓮。この他に、城跡にあるの公園内に 松平光長の母は、二代将軍秀忠の娘です。父は家康の次男の秀康の長男の忠直。ということは、光長の両親はともに、家康の孫にあたります。忠直は福井越前を治めていましたが、度重なる問題で配流になり、跡を継いだ光長は、まだ、幼少であるためという理由で、越後に領地替えになります。しかし、光長の母は将軍の娘であるために、税が軽かったらしいです。そのため、高田の人から慕われていたようです。堀にびっしり生えた蓮のせいか、ここの城(木造の復興天守と堀)は、女性的なやさしい感じがします。
は、大きな鉢に入った蓮たたくさん並べられていました。
堀の蓮

光長は長生きをするのですが、後を継ぐべき光長の子は先になくなり、跡継ぎ問題がおきます(越後騒動)。光長は幕府に認められる養子を迎え、この越後松平藩は、美作の国津山に移封となります。越後松平藩は光長一代なのに、とても、この町の人の記憶に残っているように感じました。

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