ケロケロぴーの未知標パート2

家主ケロケロぴーの思い出し思い出しの日記です。

ドラマ『風林火山』

 ドラマ『風林火山』が始まった。本で読んだ時は、「これで、おわり?」と思ってしまいましたが、主役の内野聖陽さんのポスターの写真をみて、以外に絵になることに気がつきました。騎乗の姿は、後年のシーンぐらいしかないかもしれないですが、隻眼で足をひきずる姿は、みずぼらしい格好ですが、周りからかなり浮き出ています。
 一年のドラマであるため、話のシーンごとに裏づけのエピソードもあり、より重厚な話になりそうな感じがしました。
 仕官を求め、その勉学のための諸国放浪続け、勘助が仕官叶うのは40歳すぎ。私とほぼ同じ歳ではないですか。私もまだ、やれることは多いでしょうか。人生50年の時代にあきらめずに足を引きずり、歩き回る勘助は、私より条件悪い。では私には何がある?と考えると少し心がしぼんでしまうが、私もまだ、何かを始めることができるということでしょうか。
 ラスト、戦場に走っていく勘助の姿まで、約1年。このドラマが楽しみになりました。

コメント

ダメですね~

 山本勘助の出生地は駿河山本説(富士宮説)でしたね。せっかく、三河八名郡加茂説の方は、勘助出生について書かれた文書がいくつかあるのに。
 駿河の吉野家(勘助の父親はここの家)は三河加茂に所領があったといい、勘助の父は、分家して三河加茂に移住したのだけれど、勘助は、移住前か後に生まれたかわからないところが、この二つの説の原因らしいです。ただ、駿河の吉野家は早くから大きな碑をたてているので、一般的に(観光的に)有名なのらしい。
 まあ、三河人というのは、あんまり欲がないので、どうも観光となると、宣伝不足のようです。私も、強く自分の主張をできませんので、三河人なのかもしれません。(こんな性格だと決めつけると、天下人や日本の大名になっていった三河人はなんでじゃ・・・ってことになりますので、三河に残ったものの言い訳でしょうか)
 勘助自身、『甲陽軍艦』にしか出てこないので、実在の人物かどうかと言われ、昭和44年に発見された文書によって、やっと本当にいたんじゃないかという人物。こんな人物の出生地がどうのこうのってのは、ちっちゃい問題なんでしょうね。

  • 2007/01/15(月) 16:23:58 |
  • URL |
  • ケロケロぴー #1UfF.XRY
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こんばんは!
遅まきながら、本年もよろしくお願いいたします。
富士宮市より賀茂の方が石碑建立が古いのに、碑の迫力でやや分が悪いですよね。愛知縣のネームが入ったのがいけないのかな?(笑)
某テレビ局の放送内容に対抗するように、もっと盛り上げてもらいたいです。お墓や碑だけではどうにもなりませんが・・・。

  • 2007/01/21(日) 01:04:27 |
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  • くらじろう #-
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こちらこそ、よろしくおねがいします

 くらじろうさま、いらっしゃいませ。こちらこそ、よろしくお願いします。
 墓だけでなく、摩利支天像や茶釜あります\(*^_^*)/。昨日、牛久保近くを走ったのですが、豊川は看板などをきちんと作ってあって、観光や歴史好きで来る人のことを考えているのに。その地の歴史の場所をめぐるときの起点になる歴史博物館がわかりやすいところにないからなのでしょうか。
 ドラマの中で、花倉の乱がもうすぐおきますが、勘助があっちこっち動きますが、今川や東三河の状態がいまいちわかりにくくて、ドラマだけ観ている人は理解できるのでしょうか。私は、このあたりの時代はよく知らないので、楽しみにしていたのですが、あまり理解できなくって。

  • 2007/01/22(月) 00:05:32 |
  • URL |
  • ケロケロぴー #-
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そうですね♪長谷寺の摩利支天像に正宗寺の茶釜!
関係資料を集めた勘助展なるものを地元で開いて欲しいですね。予定あるのかな?
つい数十年前まで勘助は実在の人物ではないといわれてきたので、行政の認識も低かったんでしょうね。今回ドラマで紹介されて、もっと案内をきちんとしてください!とか苦情が出てくるのではないでしょうか。

  • 2007/01/24(水) 02:09:28 |
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  • くらじろう #-
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