ケロケロぴーの未知標パート2

家主ケロケロぴーの思い出し思い出しの日記です。

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九州から帰りました

 八日から出かけていた九州旅行から帰りました。今回は往復夜行バス、九州内はレンタカーで回りました。
 どこを回ったかというと、今回のテーマは、神話と遺跡。最近のマイブームの縄文弥生時代の遺跡と阿蘇と二つの高千穂。梅原猛氏の『天皇家のふるさと日向をゆく』が今回の旅の基本になりました。旅行へ行く数週間前に一通り読んで、結局出かける前に読み直しできませんでした。旅先で関連のページやパッと開いたところを読んだりして、旅していました。九州は古代遺跡の博物館が充実していて、ゆっくり観ることができなかったのが残念です。(行き当たりばったりはいけませんね。時間配分がうまくいきません)
 それでも、江田船山古墳や西都原、上田原、吉野ヶ里と熊本県立装飾古墳館と高千穂町コミュニティセンターと行く前にチェックしたところはほぼ行けました。それから、今回、阿蘇へ行かねば……7年くらい前から思っていた理由が(なぜ、行かねばと思っていたか、理由をすっかり忘れていました)、偶然寄った神社で明らかになりました。お茶やお菓子等接待していただいたり、お土産もいただいたりといくつかの神社では、いつもは神主さんもいないのにいろいろしていただきました。そんな中、ホントに偶然に理由がわかり、それだけで、この旅はよい旅になっていました。
 写真は、阿蘇。阿蘇神社から阿蘇山頂へ向かう道の途中です。(阿蘇神社に前に寄った霜神社は、19日から女の子が59日間篭って火を焚く神事が始まるそうです)
霜神社から阿蘇神社へ

民話の里現地探訪(二川)

 今日は、民話の会の例会として、現地へ出かけて、民話の舞台を見て回りました。さすがに立岩は、ロッククライミングの場所だけあって、軽装備の私たちは、途中で断念。少しでも、現場の雰囲気がつかめれば……まだ、ホンの数行の民話の話を少し膨らませて、お話が作れるといいのですが。さてはて。今日はいくつかのイワクラをみました。日本人って巨石すきなんだなあと思いました。
 イワクラ(磐座)

金沢へ

 金沢に行ってきました。仕事で。大学受験の後、一度車で行ったことがありましたが、ほぼ、受験の時と同じように、電車でいきました。二日目の今日は12時で研修会が終わり、午後は観光に出かけました。
 香林坊からあの頃なかった21世紀美術館に行って(ちょうど特別展の入れ替えでした)、受験の時は雪が吹雪いていた兼六園を通って、あの頃は金沢大学があった金沢城も横切って、尾張町へ。『あすなろ細工かみや』に行きました。おじさんといろいろ話ながら、ずいぶん、メインのふくろうさんがシンプルになっちゃったなあと思いつつ、
「私、セミも買いましたよ、昔」
という話をしたら、「セミ買う人は少ないんだよ」とのこと。
 いろいろな話をしたあと、新しいワンちゃんシリーズを買って、陶芸の師匠に根付を買って、あとは、短冊にふくろうが貼ってあるものを買いました。おじさんにあすなろの葉っぱももらいました。
 そこからは、香林坊までてくてく歩きました。尾張町あたりはいろいろな店があって、昔見たお麩の店もありました。市場を通って、泊まったホテルに戻り、荷物を受け取り、ほぼ予定通りの電車で帰路につきました。
 受験の時は日数がかかった受験だったので、一週間近く金沢にいて、映画を観にいったり、美術館に行ったり、結構街をウロウロしていました。でも、雪の季節でほとんど風景の記憶がなくて、断片だった記憶をちょいと穴埋めできました。そういえば、温暖化のせいか、どかっと積もる雪も年間数回になったとか。街は落葉樹の葉が散って、冬の一歩手前でしたが、暖かい小春日和でした。
 20081114.jpg
金沢駅 21世紀美術館もよかった。でも、大学入試のときに見にいったモネ展をやっていた美術館もよかったですよ。

白山神社

 盆休みには平泉寺(白山神社・福井勝山)に行ってきました。郡上あたりが込んでいましたが、高速使っていきました。岐阜の長瀧にもよりました(岐阜側の白山ののぼり口だったところ)。いろいろお話がきけてよかったです。
 泊まった日は、ちょうど花火で(土砂降りの雨でしたが)、ちょうど部屋から花火が見ることができて、ビールをくいっとやりながら、見てました。翌日、もう一度出かけてみると、オリエンテーリングをやっていて、参加しました。(ゴールした時点で、クイズの得点と時間の得点あわせて、一番ではないかと言われましたよ)ゆっくり回ったのがよかったです。唯一間違えたのは、答えがわからなくて、歩いていたら、職員さんが「まるまるだよね」と話していたので、それを書いたら間違ってました。
 で、写真の中で、私の見たイメージに一番近い写真が下記です。
白山神社
 岐阜側、金沢側とあわせて、白山信仰として世界遺産の登録を狙っているとのこと。でも、いつまでも静かな森であって欲しいです。 【“白山神社”の続きを読む】

鞍掛神社

 ボランティアに出かけていった帰り、前から寄りたいと思っていた、鞍掛神社に行ってきました。木に囲まれて、今朝雨が降っていたせいか、とてもひんやりとしていました。静かさ・木(特に本殿の後ろに)・建物の古さ……と私の琴線に触れるポイントを持っている神社でした。
 この神社の付近は、源頼朝の伝説がたくさんあります。この神社の名の「鞍掛」は頼朝が鞍をかけたという話があります。この神社の地名に、「駒止」とありましたが、これも馬をとめたという話があります。そして、神社の側には、駒止めの桜という「ここ」でとめたというポイントの地点もあります。側に米山という名の山があります。この山の名は、頼朝がこのあたりで戦さをした時、劣勢で、水が尽きていたのを知られまいと、米で馬を洗って、敵の見張りにまるで水がたくさんあって馬を洗っているように見せた……という話からきていると伝えられています。この地区は「多米(ため)」と呼ばれていますが、この話からきているとされています。ここから鎌倉街道という今の東海道ができる前の山の街道(日本の街道は、もともと山の道が基本なのだとか)へ入る途中に「葦毛(いもう)湿原」があります。その「葦毛」は頼朝の葦毛の馬がそのあたりで亡くなった……なんて話もあります。
 鎌倉時代のついて書かれている『東(吾妻)鏡』には記載がないそうで、歴史の書かれた本(日本にはそんなにありませんが)にはないので、これらの話はすべて伝説に分類されます。
 ほんとにひなびた場所で、誰と会うことはありませんでしたが、たとえ伝説でも、貴人たちが通っていったと想像するだけで私はワクワクしてしまいます。
 

石巻神社

 急にボランティアのために、石巻(豊橋市)へ行くことになり、ここまできたのだからと、石巻神社にいきました。
 石巻神社は石巻山にあるのですが、この山は、小さい山ですが、きれいな三角をしています。私はほぼ毎日通る道から、ちょうどこの山が建物の狭間に見えて、目にしています。「今日もよろしくおねがいします」そんなことを思いながらみています。
 この石巻山、石巻神社は、古くからある神社で、国作りの神さまたちがやってきたという話もあります。
 山の中で、昼間でも薄暗いのですが(まあ、その方が霊験あらたか)、手洗いの水が汚く、神社の説明もないので、普通の人が参りにくるのは少なそうです。それでも、来訪の記録帳があって、しばし訪れている方もいらっしゃるし、昔の街道(?)の自然歩道もあって、少し、山歩きするにはいいところです。ちなみに、神社のすぐ近くまで車で行け、宿もあって、宿泊でなくても、11時以降温泉入れるとのこと。今度は、温泉に入ることを想定して、来てみようかなと思いました。

元伊勢探訪 どうして伊勢神宮は式年遷宮するのか

 ゴールデンウィークの最後の三日間、予定が何もなかったので、数日前から行きたくなった、元伊勢(伊勢神宮に祭られる前に祭っていた地)に行ってきました。
 とにかく、疲れました。足が筋肉痛で痛くなったのと雨で、帰りは予定になかった伊勢へ行くことに。内宮は観光で何度か行ったので、今回は下宮へ。そしてそこで、20年に一度行われる式年遷宮のための木を下宮に運び入れる、木曳きの行事を偶然見ることができました。
 天照大神(アマテラスオオミカミ)は、初めは宮中に、祟神天皇の時に、天照大神の祟りを恐れ、三輪山の檜原神社に移します。それから、天橋立の側にある真名井神社へ。そして、天照大神は転々と移動し、伊勢の五十鈴川のほとりへ。そのあと何百年経て、真名井神社の豊受大神のことを天照大神が恋しがっているとの理由で、豊受大神も伊勢に移動します。天照大神は内宮、豊受大神は下宮という、今の形になったそうです。どうして、天照大神は転々と移動したのか、天照大神とペアを組んだのは、マイナーな神である豊受大神なのか。そして、この二つの神様は、今も20年ごとに新しい神殿に移るのか……一体、何のためなのでしょうか? 

夕日 天橋立

元伊勢探訪 太安万侶という人

 今回の旅では太安万侶(おおのやすまろ)という人のお墓にもいきました。天武天皇は日本の歴史を残そうとしたのか、稗田阿礼にそれまで伝わってきた話や歌をおぼえさせます。その後、その阿礼がおぼえて、口ずさみに謡っていただろう話を文章にまとめ、『古事記』を書きあげたというのが太安万侶です。
 『古事記』には、書き上げた彼が書いた奏上文がついており、彼がどのように苦労をして、中国からの文字・漢字を使って(日本の言葉に音や意味をあてながら)書いていったか、そこに書かれていますし、彼の墓は昭和54年に発見され、墓誌も出てきたため、亡くなった時のこともわかっている人です。
 彼のお墓はお茶畑の中にあり(お茶畑の開発中に墓は偶然見つかった)、そのお茶畑の周りは、カエルの声や鳥の声。遅咲きの八重桜が花びらを散らし、田は田植えのために水がいっぱい張られ、きらきら輝いていました。そののどかさ、天気のよさもあって、こんなところで眠っている彼がうらやましくもありました。
「よかった」
思わず、そう口に出てしまうくらい、優しい風景でした。
 気分は、とても、爽快なのに……ここにいたるまで、奈良公園付近で渋滞にあい、トイレに行きそびれてた……
 近くの民家にトイレを借りようとまで思っていたのですが、なんと、この太安万侶のお墓の前の道路に面したところに簡易トイレがあったのです。(民家もまばらなのに、なぜ?)
 でも、助かりました。(最後はトイレ雑考のようになってしまいました)
 画面左が太安万侶の墓
 写真の石の並んだサークル部分は、何か特別な意味があるのかないのか、説明はありませんでした。
太安万侶の墓

 
 太安万侶の墓を少し下ったところから下を見ると水色の簡易トイレ!!
水色の簡易トイレ

古城の風景3

 宮城谷氏の「古城の風景3」が出たと気づいたので、早速買いにいきました。今回は、楽しみにしていた「一向一揆の城」。私もこの辺りは調べているので、今までとは違って、かなり読みやすく感じるんじゃないかと出るのが楽しみでした。
 どうも宮城谷氏のこの本は、司馬遼太郎氏の「街道をゆく」と比較してしまいます。司馬氏の「街道を…」と比較するといろいろな意味で『硬いな』と感じるのです。少し歴史をかじり始めた私が読んでも難しい。歴史の現場を見に行っているのはわかるのですが、人を感じることがないのです。宮城谷氏空気を感じるためにまわっているようですが、読んでいる人はその空気を感じることができるのだろうかと思ってしまったのです。 【“古城の風景3”の続きを読む】

テーマ:日記 - ジャンル:日記

山本勘助の茶釜

 26日27日の両日のみ、正宗寺の寺宝展が開かれるということで、行きました。ここには、山本勘助の茶釜というものがあり、来年の大河ドラマの主人公でもあるので、ちょっと、人が多いかも……と心配しながら。でも、私たちの前には、団体がいましたが、そんな、駐車場に困るぐらい人が詰め掛けていませんでした。

 撮影禁止かな?と思ったので、茶釜の写真は撮りませんでしたが、正宗寺の門の軒にこんな象が。
正宗寺の門の象

【“山本勘助の茶釜”の続きを読む】
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